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2014年03月19日

思うようになりました

このところ、家族一同春眠暁を覚えずっていうか暁忘れて寝ていますが、唯一ハクが晴れ渡った日だけ迷惑にも高吠え一発かましてくれます。

今日のようにどんよりと曇っていましたら、それもないので目覚ましを止めて「2度寝はアカン~~」と思いながらグッスリ。小一時間は経過しています。
そして、起きた時は「目覚ましならんかった?」と、自分で止めたことさえ忘れています。

凛太郎は前から「暁なんて知りません」と、家族の中では一番の遅起きです。母ちゃんがベッドを出た後、真ん中辺りに潜って2度寝、3度寝をしています。

さて、そんな我家ですが、最近ハクが早寝敢行。それも母ちゃんのベッドでです。
寝室の前で、寝室の方を見ながら、母ちゃんの方を見ます。
「入ってイイ?寝てイイ?」的態度です。

「ええよー」と言っても、まだこちらを見ます。

なんでやろーとベッドに行くと、掛け布団を半分めくった状態なので、ハクが寝てOKの場所が作ってなかったのです。
ハクが寝ても、母ちゃんに怒られない場所は、ベッドカバーの上ということにしてあるので、そこの用意がなかったので、しつこくコチラを見ていたわけです。
賢い。
それはそうと、早く寝たがるから、具合悪いんやろかと、ちょっとだけ心配になりますが、食欲は普通通り、散歩の道草もいつも通り、最後は母ちゃんがイラっときて、帰り道はせかすのもいつも通り、思いっきり渋々歩きをしています。多分具合悪いということはないと思います。

と、ここまで書いて思い当たりました。
きっと蓄熱暖房機の前では「もう暑い」のです。

母ちゃんの寝床がハクには温度的に合っているのではないでしょうか?

凛太郎は律儀?に、今も母ちゃんの足元の蓄熱暖房機の傍で丸まっています。

寒い間、ハクは夜中も蓄熱暖房機の傍の方が暖かいとずっとそこにいます。時々母ちゃんのベッドにもやってきましたが、回数はとても少なかったように思います。

ハクは猫のように、家の中で自分が一番気持ち良い場所にいるみたいです。
凛太郎は母ちゃんの傍にできるだけいようとしてくれています。この差は犬と猫みたいです。

昔昔、まだ私がネコアレルギー喘息と病名をつけられる前に飼っていた猫も、いつも母ちゃんの足元で寝ていました。
病名をつけられる前から夜中に咳はあったので、その猫に「足元で寝て」というと賢く足元で寝てくれていました。5kgあったので、彼が足元で寝ていると寝返りに布団がついてきませんでした。苦しくて夜中に目が覚めた時は目を開けたら胸の上に鎮座していたということもありました。

ひょっとして、その猫の生まれ変わりがハクかもと、時々妄想します。

そうそう、ハクが家族の一員になってもうすぐ満4年になります。犬収容車から引き取った日が3月24日なので、その日をハクの誕生日ということにしていますが、忘れるかもしれませんので、一応書いておくことにします。

凛太郎の誕生日は5月28日なんですが、こちらも、もうすぐやなと思っているうちに当日がすぎることがよくあります。
我が家では特別なことは何もしません。なので忘れやすいのかもです。

特別なことは何もしませんが、ワンがいてくれることで、心が柔らかくなることはほぼ毎日のようにあり、毎日のように母ちゃんは特別な贈り物をいただいているようにも思えます。生き物の存在ってスゴイです。
言葉が通じないからこそ、余計に愛おしく思えるのではと最近思うようになりました。  


Posted by weetears at 12:22Comments(0)life

2014年03月10日

バス通りを越え

近所の本屋に行こうと車に乗った極速約會
その時ふと玄関脇の自転車に目がいった。それはもう何年も放ったらかしにしている僕の自転車だった。そういえば最近すっかりと自転車に乗っていない。
天気も良かったし、たまにはいいかも……と思い車から降りた。

自転車は雨ざらしだったのであちこち錆びが浮いていた。調子はずいぶん悪そうだった。とりあえず乗ってみる。各部の動きが少々重いが走らない事は無い。僕はそのまま本屋まで向かってみる事にした。
ペダルを漕ぐたびに車輪からはキイキイと音がした。歩道にいた小学生の二人組がふざけて耳を塞ぎあった。赤信号でブレーキを掛けると甲高い音が響いた。向かいにいた女子高生がクスクスと笑った。僕は少しだけ恥ずかしくなったnu skin 如新

バス通りを越え、緩やかな上り坂に出る。その先に本屋がある。
僕は立ち漕ぎをしようと何に気なしに上体を起こした。そして坂道を一気に駆け上るべくペダルに体重をかけた。その時だった。なんとチェーンが外れてしまった。
ペダルに掛かっていた負荷が一気に消え、力の逃げ場がなくなった。あたふたとバランスを崩し、ハンドルが左右にぶれる。すぐ脇をトラックがもの凄いスピードで抜き去っていく。僕は半泣きになりながら両足を地面に擦りつけ、なんとか転倒を防いだ。
そして迫りくる後ドキを感じながら自転車を押し、とぼとぼと家に戻った。

落ち着いてからよく見るとチェーンはびろびろに伸びていた。タイヤもひびだらけだ。
考えてみたらこの自転車は僕が独身の頃に購入した物だった。それからもう十五年以上経つ。ガタがきているのも当然だった。
近所のホームセンターに行けば安くて良い自転車がたくさん売っている。買い替えの良い機会かもしれない。

妻に相談すべく家の中に入る。だがタイミングが悪い事に、妻はノートパソコンを開いて帳簿をつけている最中だった。
今は確定申告の時期である。独身時代には毎年これで頭を悩ませていた。とにかく色々ややこしいからだ。
結婚後、申告方法をさらにややこしい「青色」へと変更した。それからというもの、申し訳ないと思いつつ、帳簿付けはすべて妻にお願いしている。自分はと言えば完成した申告用紙を提出するだけだった。

僕は妻の背後からそっとパソコン画面を覗いてみる。
開かれた会計ソフトには収入額やら納税金額やらがリアルな数字となって浮かんでいた。それは正直言って威張れるような数字ではなかった。きれいさっぱりしていて潔いぐらいだった。
妻のため息が長く伸びる。僕の背筋がぴしーっと伸びる。新しい自転車が欲しいなんてとても言える状況じゃない。僕はそっと部屋から抜け出した如新集團

外れたチェーンを掛け直し、モンキーレンチを使って長さを調整をする。試しに立ち漕ぎをしてみるとチェーンは外れなかった。次にウエスとコンパウンドを使用し車体を磨いた。すべてとは言えないまでも錆びはかなり落ちた。最後に潤滑オイルを各部にスプレーし、嫌な音を消した。タイヤは小遣いが入ったら交換すればいい。
たったそれだけの事だったが、なんだか自転車は見違えるようになった。もう恥ずかしくなどなかった。せっかく今まで一緒だったのだ。もう少しだけ付きあってもらおう。

まずは週明け、妻が書きあげてくれる確定申告の用紙を持って、税務署まで自転車で行こうと思った。ちょっと遠いけど運動にもなるし一石二鳥かもしれない。  


Posted by weetears at 12:20Comments(0)nuskin

2014年03月03日

あの禿げた頭が

映画の弁士から漫談家になった徳川夢声は、
声の抑揚だけで、人を泣かせたり笑わせたりできた人物だった。
いわゆる「活動写真」の弁士だった頃、
映し出される映画の状況を把握し、
その感情をみなぎらせることを心がけたという。
すなわち康泰、映画に対する過不足のない解釈が、彼のやるべき第一歩だったようだ。

ピアニストにもそういったところがある。
コンクールなどでも、弾く曲をどう解釈するのが問われる。
五線譜に書かれた曲は同じでも、
解釈ひとつで別の曲かと思うほどに違ってくる。
その思いを乗せて演奏することがポイントでもある。

演劇の世界にも同じようなところがある。
宇野重吉とともに劇団民藝を立ち上げ、共同で代表となった滝沢修は、
名優として知られるが、
シェイクスピア『ヴェニスの商人』の
ユダヤ人金貸しのシャイロック役を演じるとき、
前もって演出者に、喜劇的に演じるのか、悲劇的に演じるのかを問い、
そして、
この芝居の(ヤマの部分である) 法廷の場で演じられる台詞(せりふ)を、
七通りに使い分けて聴かせたという康泰旅行團

シャイロックを悲劇的に演じれば、
その他の人物の役回りも、それに合わせて替えなければならない。
型を破って喜劇的に表現するのも面白い。
そういったところが演出家の腕の見せ所となる。

年下の演出家に対してこんな風に
前もって実演して見せるという心配りをしていた。

舞台で名演技を繰り広げていた滝沢修の、
あの禿げた頭が如新集團、今も懐かしい。  


Posted by weetears at 17:11Comments(0)nuskin