2014年03月03日

あの禿げた頭が

映画の弁士から漫談家になった徳川夢声は、
声の抑揚だけで、人を泣かせたり笑わせたりできた人物だった。
いわゆる「活動写真」の弁士だった頃、
映し出される映画の状況を把握し、
その感情をみなぎらせることを心がけたという。
すなわち康泰、映画に対する過不足のない解釈が、彼のやるべき第一歩だったようだ。

ピアニストにもそういったところがある。
コンクールなどでも、弾く曲をどう解釈するのが問われる。
五線譜に書かれた曲は同じでも、
解釈ひとつで別の曲かと思うほどに違ってくる。
その思いを乗せて演奏することがポイントでもある。

演劇の世界にも同じようなところがある。
宇野重吉とともに劇団民藝を立ち上げ、共同で代表となった滝沢修は、
名優として知られるが、
シェイクスピア『ヴェニスの商人』の
ユダヤ人金貸しのシャイロック役を演じるとき、
前もって演出者に、喜劇的に演じるのか、悲劇的に演じるのかを問い、
そして、
この芝居の(ヤマの部分である) 法廷の場で演じられる台詞(せりふ)を、
七通りに使い分けて聴かせたという康泰旅行團

シャイロックを悲劇的に演じれば、
その他の人物の役回りも、それに合わせて替えなければならない。
型を破って喜劇的に表現するのも面白い。
そういったところが演出家の腕の見せ所となる。

年下の演出家に対してこんな風に
前もって実演して見せるという心配りをしていた。

舞台で名演技を繰り広げていた滝沢修の、
あの禿げた頭が如新集團、今も懐かしい。


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Posted by weetears at 17:11│Comments(0)nuskin
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